ひな祭りの歴史
雛 祭 り(ひなまつり) の 歴 史 | |||
平 安 | 「ひいな」でひいな遊びが行われる。 「ひとがた」で災厄を祓い水に流す。 「あまがつ」は、幼児の祓いやお守りとして使われる。 |
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鎌倉南北朝 | |||
室 町 | 天児・這子が共に幼児の祓い人形として使われる。 紙雛(立雛)があらわれる。 |
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安土桃山 | 室町雛が書物でみえる。 伏見人形ができる。 |
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江戸 | 前期 | 寛永雛→元禄雛ができる。 3月の節句が行事化する。 江戸や京で雛市がたつ。 座雛と立雛が同格で飾られる。 内裏雛の名称が使われだす。 |
寛永ごろ(1624〜) 貞享ごろ(1684〜) 貞享ごろ(1684〜) 元禄ごろ(1688〜) |
中期 | 享保雛があらわれる。 加茂人形ができる。 衣裳人形が流行する。 市松人形ができる。 雛祭りとして幼女の初節句を祝いだす。 2・3段の雛飾りができだす。 次郎左衛門雛が流行しはじめる。 種々の雛道具ができ蒔絵や金銀の飾り金具をつけだす。 有職雛が公家社会でつくられ、飾られだす。 御所人形・芥子人形ができる。 5・6段の雛飾りができだす。 江戸で五人囃子ができる。 雛の掛軸を後の雛(重陽の節句)にもかける。 |
享保ごろ(1716〜) 元文ごろ(1736〜) 寛保ごろ(1741〜) 寛保ごろ (中ごろ) 宝暦ごろ(1751〜) 宝暦ごろ。 宝暦ごろ。 安永ごろ(1772〜) 天明ごろ(1781〜) 天明ごろ |
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後期 | 京・江戸の雛飾りが守貞漫稿で紹介される。 押絵雛を飾る。 7、8段の雛飾りができだす。 京雛人形と江戸五人囃子を一緒に飾りだす。 |
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明治以降 | 雛祭りが農村にまで広がる。 土雛・押絵雛が流行する。 掛軸の雛も庶民の雛として普及する。 |